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山ざくら もも子

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  • てんとう虫コミックス・短編第20巻第15話『バランス注射』(143頁)


[解説]


「山ざくら もも子」は「山口百恵」と「桜田淳子」の合体パロディ版である。

山口百恵:1976年にはプロマイドの年間売り上げ成績で第一位に輝いた。この年リリースされた『横須賀ストーリー』から阿木耀子・宇崎竜童夫妻の作品を歌い、新境地を開く。結果として引退まで歌うことになる宇崎夫婦の作品の数々は、大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。しかし、この二人を作家として指名したのは、周囲のスタッフではなく、百恵本人だったという。1978年の第29回NHK紅白歌合戦では紅組のトリを務めたが、十代の歌手が紅白のトリとなったのは百恵が最初であった。その後も、誰もいない。 1979年には、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』という著書を発表するなど、多くの文化人に現代を象徴するスターとして語られた。歌も映画もヒットすることにより、美空ひばりに匹敵するような「女王」という称号も奉られることになる。写真家篠山紀信は百恵のデビュー当時からモデルとして撮り続けてきたが、度々、印象的な写真を発表し、注目を集めた(ウィキペディアによる)

桜田淳子:1972年、中学2年生の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生』で優勝し、番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がった。同世代の山口百恵・森昌子とともに花の中三トリオと呼ばれた。文字どおり1970年代を代表するトップアイドルのひとりであった(ウィキペディアによる)

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