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フニャコフニャ夫

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[解説]「フニャコフニャ夫」は人気抜群のマンガ作家である。あまりにもたくさんの連載を抱えているため、始終アイディアに悩み苦しんでいる。たくさんの雑誌社からの原稿催促により、「フニャコフニャ夫」は顔を真っ赤にして、机のわきで大の字になってぶっ倒れてしまった。その際、ベレー帽も脱げ、頭は禿げ、頭頂部に一本の髪の毛を残していることが明らかになった。ドラえもんは「フニャコフニャ夫」を寝かしつけ、「きみ、その雑誌を見てかきうつしてくれ」と頼まれたので、「ぼくのうつしたまんががのって、この雑誌がでるとすると・・・、まんがのほんとうの作者は、だれだろう」と疑問を抱きながら、ベレー帽を被って、写し始め出した。

「フニャコフニャ夫」は「藤子不二雄」のパロディ版である。

藤子不二雄:漫画家コンビのペンネームで『オバケのQ太郎』などの作者。ともに富山県出身。コンビ結成初期は二人とも手塚治虫タッチで絵の描き方が一緒であったため、二人でひとつのマンガを描くという完全合作に挑戦していたが(片方がシナリオ、片方が作画というコンビは多い)、お互いの作風、作画に変化が現れた後は、コンビと言っても共著は前述の「オバQ」などが数点あるのみで、別々に作品を執筆し、それぞれが藤子不二雄名義で発表するという、二人でひとつのペンネームを使用する方法を採っていた。1988年コンビを正式に解消し、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aになる(ウィキペディアによる)

藤子不二雄:藤本弘と安孫子元雄の合作ペンネーム。小学五年生のときの同級生同士。1943年からコンビを組み、1951年、「天使の玉ちゃん」(『毎日小学生新聞』)でデビュー。1954年、二人で富山から上京。合作名で執筆活動を続け、「オバケのQ太郎」など、数々の名作を生みだす。1987年、コンビ解消し、藤本は藤子・F・不二雄として、安孫子は藤子不二雄Aとして、活躍を続ける(現代漫画博物館別冊・資料編による)

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